腰痛を考えるをUPしてから、皆さんからメールをいただく内容をくり返し読み返す事があります。その悲痛な内容を読み返す度に、私の心の琴線にふれるものがあります。私は自分の術式をいっさいネットで紹介していない理由の一つとして、治療成果というものはその治療を受けた患者さんの努力が身をむすぶもので、全て治療家の指示や治療行為によって達成できるものではないと思っているからです。その琴線とは、メンタル、精神的苦痛にまで及ぶ内容がどのメールにも見られる事です。私は疾患の数だけ、心の痛みがあるし、この世に全く同じ苦痛はないと思っています。そんな苦痛を無視できないのは私の性格で、つい返信メールが長くなってしまいます。でもメールをくれた全ての人、この文章を読んでいる方全ての人は、少なくても苦痛と同時に治ろうとする、この状況から脱出するんだ!という大きな力も同時に感じます。
何かをしようとする時には、必ず大きなエネルギーが必要になります。そのエネルギーの大きさも人によって違います。私はそのエネルギーがほんの少しでもあるならば、充分に治療を介してお手伝いができるものと思っています。そしてそのエネルギー(気持ち)に高い評価をしなければ、私の治療が生きてこないと思っております。
さて今回の腰痛を考える2は、慢性腰痛とのつきあい方を考えてみたいと思います。